沼津の干物の歴史



大瀬埼にある神池から駿河湾、そして富士山を望む自然豊かな海岸線に沼津市は位置する


沼津の干物の歩み

沼津では、江戸時代頃から干物作りが行われていたようだ。
明治、大正時代の頃は、自給自足の規模や家内工業的な生産がほとんどだったようである。



本格的に沼津の干物の生産が行われだしたのは、昭和20年以降になる。
最初の頃は、手で魚を開くという形で干物を作っていたが、包丁を使うという技術が導入されて生産量が増えていった。



昭和も中期にさしかかると、色々な技術が導入されますます生産は盛んになる。
まずは、乾燥機の導入により、天候を気にすることが無くなり、ハエや害虫の回避もでき、衛生面での心配が無くなった。
次いでスチロールという画期的な資材の誕生。
そして冷凍技術の増々の発展・運送の発達により沼津の干物は、全国へ広がり日本有数の産地と成っていった。